SSブログ

SNSに向いていないことは恥ずかしいことじゃない [トリビア]

物事をなんでも共有したりシェアしようよ、という風潮になって久しい。

でも一方で、自分がシェアするものにたくさんのいいね!がついてほしいという理由からずいぶん過激なことを投稿して、結果炎上するということも増えてきた。何かしらの迷惑行為もそうだし、過激なことを言えば動画の再生数が伸びるという「単純なこと」が「すごいこと」だと思っている人も多い。

悩みもそうだけど、他人と共有できない部分って必ずある。

それは例えば悩みは一緒だけど立場が違ったり、細かな違いが自分としては譲れない部分だったり。そういう意味では現実の世界でも悩みを共有できることってすごく稀なことだ。共有できる瞬間があれば奇跡と思った方がいい。

ネット上だと、いろんな人が自分の悩みの捌け口にそれを使う。だから愚痴も共感することができるものが多い。だけどやっぱり現実の世界と同じようにそれぞれに悩んでいることを共有できるのも限界がある。どこまでいっても最後は自分が現実の世界で解決しなければ終わらないことだ。

だけどどうにも、SNSだけで解決しようとしてしまうことが多い。この言葉をもらったから生きていけるとか、@(アットマーク)の返信で教えてもらったことが全てになってしまっている人。そういう人がずいぶん多い。

自分の属しているコミュニティと、その中にいる自分自身の人格の輪郭が限りなく曖昧になってしまっているのだろう。

僕もそういう状態になったことがある。それでもって非常に厄介な鬱になったこともある。

それで分かったのは「僕はSNSには向いていない」ということだ。30代半ばになってやっと分かった。

でもこれを気づくのが遅いとか、そもそもSNSに向いていないことがダサいとかは思っていない。他人から指を差されて笑われても全く気にしない。向いていないことは、いくらカッコをつけても向いていないからだ。

こういう現代に生きていて現代のツールが使えないことに対しての劣等感というものにずいぶん無意識のうちに向き合ってきたのが20代の頃だったように思う。色々と形を変えて試してみたけれど、そもそもスマートフォンという現代のツールが自分は扱いこなせないらしい。

でもそれを恥ずかしいとかは思わなくていいと思う。他に向いていることもあるだろう。人と喋ることは嫌いじゃないし、食べ物はやはり美味しいし、よく眠れる。

それで十分幸せなものだから、再生数やチャンネル登録者数や、SNSのいいね!などを気にすることなく、翌朝を清々しく迎えることができる。それで充分じゃないか。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。